MBA+MC=Logic+Art 大野真護のブログ

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やっぱりテレビは最底辺なのね

2009/06/10 · コメントを書く

 昨日、テレビに関する個人的な悪口を書いたら、こんな記事がつい最近出ているのを知った。

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2009年6月8日(月)
「ROOKIES(ルーキーズ)」が教えてくれた手前味噌の味
                        その風味は、いつでもどこでもオンリーワン

やっぱり、どんどんひどくなっていると感じている人は多いのだということを再確認した。

もはや末期的症状と言っていいかもしれない。

どんな映画を見たい?の話題になると、決まってテレビで盛んに宣伝されている映画の話題になってしまう。
そんな、コマーシャリズムに染まった映画を見たいのだろうか?その判断根拠は一体何だろうか?

テレビで盛んに取り上げられている=世間で非常に話題になっている

というイコール関係が成り立つのだろうか?

そこには自分自身の判断なり、自分独自の情報収集といったものはなく、多勢に流されて「自分というものを見失った」だけに過ぎないのではないか。

「自分らしく生きたい」と主張する向きもある。

しかし、ちょっと待って。
自分の脳みそで考えられない、行動を決められない、行動できない人間が、どこに「自分らしさ」というものが存在できるのでしょう?

全部のリスクを自分で背負ってこそ初めて、「自分の選択」というものが生じるのであるし、
どこまでもその選択に責任を持たなければならないという、厳しさも存在します。
なぜなら、一切の言い訳が認められない、ひとのせいには出来ないからです。

オンリーワン?

そんなオリジナリティーに溢れる人間なんかいないし、そうだとしたら、今の社会は生き残れないでしょう。

いつも「変人」扱いされるし、友達も少ないかもしれない。

どこかを模倣して、リスクを軽減していかなくては、正直言ってつらいことの方が多いのです。
なにしろ、あこがれの対象やモデルを見出し、まねしていく方が簡単で、自分の求める未来への近道でもあるから。
かつての日本のように。

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既存マスコミとの距離感

2009/06/10 · コメントを書く

 MBAで勉強するようになってからというもの、テレビを見る時間は圧倒的に少なくなりました。

 勉強する時間を捻出する必要があるから、というのがそもそもの理由なのですが、何でも自分の頭で考えて、仮説をもって検証してみようという姿勢になると、テレビのような受け身のメディアはなんだかまどろっこしさを感じてしまうものです。特に、情報の格差を楯に、見せてあげている・教えてあげているというような、胡散臭さを感じるときもあります。
 自分が色々と考えたり、勉強したりすればするほど、テレビが報じるばからしさに辟易とした感覚を持ってしまうのはなぜなのでしょうか。テレビを見て、感心したり、なるほどと考えさせてくれる機会が少ないのはなぜなのでしょうか?

 テレビはコンテンツビジネスであるとはいいながらも、そのコンテンツの内容はどこの局も似たり寄ったりで、企業の広告費の削減の影響を受けて、テレビコマーシャルでは番組宣伝(番宣)ばかり。しかも、どうひいき目に見ても、見たいと思わせるものがない。

 妻とも話すのですが、テレビは完全に「時間つぶしマシーン」であり、「時間食いマシーン」となっています。テレビを見て得られるのは、何となく過ぎた時間だけです。もちろんいい番組もありますが、少数派に過ぎません。

 じゃあ、もう一つの既存メディアである、新聞はどうかというと、こちらもほとんど読まなくなりました。というのも、YahooとかGoogleとか、ブログサイトなどを見ていれば、大体のニュースはカバーできるということと、そこにプラスして新聞を読んだからといっても新しい気付きや分析を期待できないと思ってしまうからです。
 どの新聞もテレビも、ニュース配信社のニュースを表面的になぞっているようにしか感じられず、各社の独自な分析やプラスアルファがあまり見えない。違うのはちょっとしたニュアンスの違いとか、新聞社・放送局のスタンスの違いだけ。自然と関心が向かなくなっていきます。

 目的意識を持って情報を取りに行こうとすると、既存のマスコミからの垂れ流しの情報では満足できないというのが個人的な感想です。どんなことが起きているか、どんな話題があるかは、Yahooのトップページを見ていれば大体わかります。詳しく知りたいことがあれば、リンクをたどればいい。それに、芸能ネタやゴシップネタは、それ専門のサイトやブログなどを見ると、玉石混淆のいろいろな話を興味半分で見ることも出来る。
 ニュースを見る側では、知りたいと思う対象が多様化してきていて、しかも個々人に濃淡があるという、変化がどんどん進んでいる。
 それにもかかわらず、ニュースを提供する側は、記者クラブの問題があるように、提供する内容の画一化がどんどん進行してしまっていることに問題があるのではないでしょうか。
 MBA的にいえば、マスコミにおけるマーケティングが不在の状態になっているとは言えないでしょうか。

 何かを表現し、それを伝えようとする場合、ターゲットを設定しなければなりません。そのターゲットの絞り込みが果たして十分なのか、そのターゲットに伝える、Deliverする手段として、もっとも適切な表現手段・メディアは何なのだろうか?ともっと考え、行動すべきなのでしょうね。

 一般企業は、広告のあり方、PRのあり方、ホームページにおける表現、展示会への出展、製品紹介パンフなど、あらゆる手段を講じて、ターゲット顧客へのアプローチを試みています。正解があるものではありませんが、とにかく試行錯誤しているという状態です。
 マスコミは、表現者の先駆的な存在なのだから、もっと一般企業の先を行く、新しいモデルを創造し、ビジネスモデルを販売するという、夢があってもいいのではないのかなぁと思うのですが、期待しすぎなのでしょうか。

 堀江貴文氏が、フジテレビの買収に動いた打算として、Livedoorのポータル戦略を強化するために、テレビ局のスポット広告を利用して、テレビから顧客を誘導しようと考えた、というインタビュー記事がありました。テレビのスポット広告費用よりもテレビ局そのものを買収する方が、トータルコストが安くつくという盲点に気がついたからだ、ということらしいのです。所詮テレビの役割とは、広告塔としての使い道であり、あくまでネットが主体であり、ネットでもうけるための入り口だという認識のようでした。
 やり方には大いに問題がありますが、テレビというメディアの凋落が近いことを予感させるものです。

 情報が溢れている今こそ、コンパクトに全体を俯瞰することが出来るメディアと取捨選択しやすい仕組みが必要となるでしょう。
 今のところ、俯瞰性・網羅性と取捨選択性を考慮すると、ネットメディアの方に分があるのではないのかなぁと思います。
 ですので、既存マスコミとはどんどん距離が離れていくでしょうね。新聞を全く購読しなくても、テレビを全く見なくても、社会生活上の不都合は、全く感じられないのですから、、、、

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テレビというメディアと映像コンテンツビジネス

2008/08/11 · コメントを書く

 数年にわたって、テレビを見なくなっています。見る必要がないというわけではなく、どちらかというと、「見たい」という気持ちをくすぐられることが少なくなっているのが原因であるようです。
 見る自分自身に知的好奇心をくすぐられるテレビ番組とか、積極的に楽しみたいという娯楽の側面が今のテレビ番組にないからなのだろうか、果ては「多様な関心や趣味指向を持った視聴者」にテレビ側が対応できていないのだろうか?

 なぜ主体的に、どうしてもテレビが見たいと思わないのだろうか。一方で、ネットにアクセスする、このようにブログを書くこと、メールをチェックすることは、まるで毎日の日課のように、ネットに接続しないと気持ち悪いような、落ち着かないような気分になってしまう。

 テレビが自分自身の情報源として、大きく君臨していたのは2000年ぐらいまでだった。バブル経済とその崩壊、住専破綻処理を経て、山一証券、長銀、拓銀の破綻処理、ミレニアムを巡るいろいろな狂騒のほとんどは、テレビを通じて様々な情報を得ていた。しかし、ネットバブルの発生とその後のWeb2.0の進化に伴って、テレビを見るよりも、ネットで著名な人のコラムを読んだり、いろいろな気づきが得られるブログを読むこと、そして自分も書くことが、これまでの情報生活と比較してかなり楽しいものであることを実感してから、テレビというメディアに対する姿勢が180度変わってしまった。

 たとえば、ブッシュJr.によるイラク侵攻の前後では、日本のテレビメディアでは非常に扱いが小さかったが、ネットで海外のTV局や新聞にアクセスすると膨大な情報が現れ、それらを日本語で解説してくれるブロガーもいた。圧倒的に情報量はネットの方が多く、新鮮であり、そしてなにより「自分で考える」ことができた。そして、自分が思うところを発信することもできた。

 この違いは、とても大きかった。
 この違いを説明する例として、「お祭り」を取り上げてみたい。
 「お祭り」はいろいろな種類のものがあるが、ここでは「参加する側」「見物する側」に分けて考えてみたい。
 見物する側は、地元の小さな祭りではなかなか満足できない、派手な演出や、呼び物となる娯楽的な見せ物がないと、「面白くない」と感じてしまう。したがって、三大祭りとか、由緒ある祭り、大花火大会などといったものにしか、関心を示さなくなってしまう。つまり、「大型なコンテンツ」にしか、興味を示さない。
 一方で参加する側は、参加することがあくまで自由意志であるならば、祭りの大小は問わず、そのお祭りにどこまで深く関与できるか、という一点だけで「満足感」が大きく異なってくる。祭礼の当番を持ち回りでやる場合は、その当番に当たる年はお祭りに対する関与が大きくなり、「責任と権限」も大いに与えられ、重要な役割を果たすことになる。その役割を担うことは、大きな喜びであり、無事に成功したときの達成感は何物にも代え難い。そして、なにより、参加することにより、「自己表現」や「自己実現」ができることが、「面白い」と思えることにつながっている。

 テレビというメディアも、ネットのWeb2.0の進化による、個々人の「自己表現化」による、「新たな楽しみの出現」という現象に大きな影響を受けているのではないだろうか。
 世間を「見物する」というスタイルから、世間に「参加する」というスタイルに変化しつつあるのだ。だからこそ、「見物」の最たるビジネスモデルである、テレビというメディアの凋落は激しいものになるのではないかということだ。それは、年齢別の視聴時間のデータに如実に表れている。

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 このデータを見る限り、高齢者のテレビ視聴時間が長いのであって、若い世代ほどテレビを見ていないということになる。もっとも、ワンセグによる視聴時間まで計測されているのかに若干の疑問が残るところではあります。

 しかし、重要なところは、テレビメディアを支える視聴者は、50代以上の世代であるということです。世代人口と世代あたりの視聴時間の積を取ると、日本人全体のテレビ視聴時間シェアの比較ができます。おそらく、50代以上でテレビ放映時間の大多数を視聴しているという結果になるでしょう。
 テレビというメディアは、50代以上の人々のために存在するものになってしまっているということです。ですので、メディアとしての使い方を十分に考え直す必要があります。

 一つは、政治家。比較的投票率も高く、人口も多い、50代以上を狙うには、テレビへの露出が効果的でしょう。小泉元首相は、そのあたりをうまく行った首相と言えます。
 二つは、マーケティングメディアとしての考え方。このようなメディア特性ですから、スポット広告は50代以上の世代を対象とするものに限定しなくては、効果が出ないでしょう。その点で、アリコは、上手にターゲティングされた広告を展開しています。しかし、日系の保険会社は、未だに20代から30代の世代を対象としているかのような広告を打っているため、効果が上がっていないのではないかと思われます。
 三つ目は、多チャンネル化は失敗するであろうということ。いくら多チャンネルの放送網を築いたからといって、視聴者の大半は50代以上の世代であることから多チャンネルの受け手として不十分ではないかという点です。受動的にテレビを見るという姿勢で、多チャンネルの情報を選び分けて、見る、という一連の情報処理操作が受け入れられるのだろうか、という点に大きな疑問を感じるからです。

 多様なコンテンツを制作することは、今後も求められることですが、そのコンテンツの流通の場は、これからはネットを軸足において流通することになるのではないでしょうか。iTunes Music Storeのように、映像コンテンツを配信する仕組みが整えば、安いテレビの下請けとしてコンテンツを制作するよりも利益を出すことができるようになるでしょう。とりわけ、電波法などの地域的な制限を超えて、コンテンツを世界に対して供給できるようにすれば、市場の規模が大きいですから、アマゾンのロングテールのように、リーチが長くなれば十分に収益を上げることができるでしょう。

 さらに、上記の役割をコンテンツ制作会社にだけに頼ってはいけないでしょう。日本の企業も、スポンサーとしてテレビ番組を提供するのではなく、スポンサーとして映像コンテンツを海外に発信して収益を上げる仕組みを作るべきでしょう。

 テレビというメディアは衰退産業になりつつありますが、映像コンテンツを軸とした市場はまだまだこれからです。アイデアと仕組み作りの勝負でしょう。アイデアという点では、ニコニコ動画が秀逸ですが、収益を上げるための仕組み作りは、待ったなしの勝負の環境にあると言えます。が、何もしなければ、2010年までに勝負がつくかと思われます。それから、地デジに完全移行したとしても、何のための移行だったのか?という事態に陥るのではないかと懸念します。

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テレビが壊れた

2008/03/13 · コメントを書く

 昨日、急にテレビが壊れた。
 前触れもなく、いきなり、鋭く光る塊がブラウン管から放出されたかと思うと、ブッチッバチッベシッ!!という感じで、テレビが爆発するんじゃないかという音が出たので、急いで電源を切った。ちょうど、妻がお気に入りのレギュラー番組を見ていた最中で、不機嫌モード全開となって、こっちはいい迷惑だった。
 自由時間、個人時間の生産性を高める上で、テレビは時間食い虫以外の何ものでもなく、きわめて有害な存在だ。ただ、簡単に情報を知ったかぶる、には、とてつもなく、便利なものなので、大きなニュースがあるときは、つい見てしまう。で、時間を浪費してしまう。恐るべしである。
 いろいろな自己啓発に関する本を読んで、テレビに使う時間を無くそうと思ったのが、3年ほど前。以来、1日にテレビを見る時間は長くても30分程度。1週間だと、4時間にも満たない。その分の時間を、ネットに回したり、本を読んだりすることに費やしている。現在、家には壊れたばかりのテレビが1台と、1年前に壊れかけたテレビが1台ある。いい加減捨てたいところだけれども、家電リサイクル法の影響でお金がかかる。どちらも、10年以上経っている、古参選手もいいところ。片方は、2万円で買った小型のブラウン管テレビ。今回壊れたのは、テレビデオ(完全に死語)の14年選手。一方、パソコンは、7台もある。毎日使っているのは、2台。たまに使う、Windowsノート。Mac Proを購入してから全く触らなくなった初代MacBook、さらに2台のMacMiniとThinkPad(IBM)。実にパソコンの方が台数も、かけてきた金額も半端なく大きい。
 自分自身も、もはやテレビの時代ではない、と思っている。いや、実感している。だから、ワンセグ携帯にも全く興味がない。なんで、テレビを持ち歩かなくてはならないのか、その必然性がわからない。今や、アクセスしたい情報は山ほどある。貴重な時間は、見たい情報から順にアクセスしていかないともったいない。本も読みたい。もっと、実際には経験しきれないことを、想像経験したいと思う。そして、もっと考えることをしたいと思う。
 とはいえ、レコーダーに取りためた映像を見ることができなくなったのは痛い。また、MBAの勉強で利用している、CS放送が見れなくなったのは痛い。やはり、安いテレビを探さなくてはならない。先週末に、別件で家電量販店Yに行ったが、テレビといえばFPDしか置いていない。しかも10万以上ばかり。そんなの買うつもりは、毛頭ない。そんなお金があれば、最近のデジタル一眼が買える。それよりも、マクロレンズの方が欲しいけれども。
 出して、3万円。しかも2台の壊れたテレビの引き取りも含めて。譲っても5万円。
 果たして、どうだろうか。
 明日、定時で仕事を上がるようにして、家電量販店を探ってみようと思う。

カテゴリー: 05 Hack
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