基本的に、出張はすき。
海外出張は、というと、
まだ修羅場を潜り抜けたことがないので、何とも言えません。
ですが、変化にとんだ環境に身をおくこと自体が好きなので、海外出張も好きなんだろうと思います。
基本的に、なんとかなる、と信じることができますから。
ただ、ネット環境については、いつも準備不足です。
パソコンは重くてかさばるから、との理由で、iPhoneだけで海外出張に飛びましたが、やはり無線LANだけに頼るのは良くないです。
ずっと、ホテルのロビーでネットに接続していますが、さすがに飽きてきます。ラクな服装で部屋で接続する方が、良いですね。
やはり無線LANのベースステーションをもってくるべきでした。
次回からは、必須アイテムとしてパッケージリストに付け加えておきます。



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すでにWeb2.0という言葉自体が、死語となっているような気がいたしますが、ネット上で人とのつながり、結びつきを重視する傾向が世界的になりつつあるようです。
ロイターの記事によると、
http://jp.reuters.com/article/oddlyEnoughNews/idJPJAPAN-33800120080917?rpc=131
ネット検索で上位を占めていたアダルトサイト(ポルノサイト)よりも、ソーシャルネットワークサイトの検索を占める割合が多くなっているとのことです。
現実生活での人との交わり、暖かみを求める上で、仮想空間での交わりを大切にする、うまく表現できないのですが、現実と仮想空間の上手なバランスが今後求められるような気がしてなりません。そのバランスが崩れているのが、精神的に、人間形成的にも中途半端な、中・高生の携帯サイトでしょうね。規制をするのではなく、教育の一環に取り入れて、コミュニケーションのあり方を考えるようにしたいものです。
子どもだけではなく、親と学校とが連携をとって、学びの場として肯定的にとらえる姿勢が求められるのではないかと思います。
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数年にわたって、テレビを見なくなっています。見る必要がないというわけではなく、どちらかというと、「見たい」という気持ちをくすぐられることが少なくなっているのが原因であるようです。
見る自分自身に知的好奇心をくすぐられるテレビ番組とか、積極的に楽しみたいという娯楽の側面が今のテレビ番組にないからなのだろうか、果ては「多様な関心や趣味指向を持った視聴者」にテレビ側が対応できていないのだろうか?
なぜ主体的に、どうしてもテレビが見たいと思わないのだろうか。一方で、ネットにアクセスする、このようにブログを書くこと、メールをチェックすることは、まるで毎日の日課のように、ネットに接続しないと気持ち悪いような、落ち着かないような気分になってしまう。
テレビが自分自身の情報源として、大きく君臨していたのは2000年ぐらいまでだった。バブル経済とその崩壊、住専破綻処理を経て、山一証券、長銀、拓銀の破綻処理、ミレニアムを巡るいろいろな狂騒のほとんどは、テレビを通じて様々な情報を得ていた。しかし、ネットバブルの発生とその後のWeb2.0の進化に伴って、テレビを見るよりも、ネットで著名な人のコラムを読んだり、いろいろな気づきが得られるブログを読むこと、そして自分も書くことが、これまでの情報生活と比較してかなり楽しいものであることを実感してから、テレビというメディアに対する姿勢が180度変わってしまった。
たとえば、ブッシュJr.によるイラク侵攻の前後では、日本のテレビメディアでは非常に扱いが小さかったが、ネットで海外のTV局や新聞にアクセスすると膨大な情報が現れ、それらを日本語で解説してくれるブロガーもいた。圧倒的に情報量はネットの方が多く、新鮮であり、そしてなにより「自分で考える」ことができた。そして、自分が思うところを発信することもできた。
この違いは、とても大きかった。
この違いを説明する例として、「お祭り」を取り上げてみたい。
「お祭り」はいろいろな種類のものがあるが、ここでは「参加する側」「見物する側」に分けて考えてみたい。
見物する側は、地元の小さな祭りではなかなか満足できない、派手な演出や、呼び物となる娯楽的な見せ物がないと、「面白くない」と感じてしまう。したがって、三大祭りとか、由緒ある祭り、大花火大会などといったものにしか、関心を示さなくなってしまう。つまり、「大型なコンテンツ」にしか、興味を示さない。
一方で参加する側は、参加することがあくまで自由意志であるならば、祭りの大小は問わず、そのお祭りにどこまで深く関与できるか、という一点だけで「満足感」が大きく異なってくる。祭礼の当番を持ち回りでやる場合は、その当番に当たる年はお祭りに対する関与が大きくなり、「責任と権限」も大いに与えられ、重要な役割を果たすことになる。その役割を担うことは、大きな喜びであり、無事に成功したときの達成感は何物にも代え難い。そして、なにより、参加することにより、「自己表現」や「自己実現」ができることが、「面白い」と思えることにつながっている。
テレビというメディアも、ネットのWeb2.0の進化による、個々人の「自己表現化」による、「新たな楽しみの出現」という現象に大きな影響を受けているのではないだろうか。
世間を「見物する」というスタイルから、世間に「参加する」というスタイルに変化しつつあるのだ。だからこそ、「見物」の最たるビジネスモデルである、テレビというメディアの凋落は激しいものになるのではないかということだ。それは、年齢別の視聴時間のデータに如実に表れている。

このデータを見る限り、高齢者のテレビ視聴時間が長いのであって、若い世代ほどテレビを見ていないということになる。もっとも、ワンセグによる視聴時間まで計測されているのかに若干の疑問が残るところではあります。
しかし、重要なところは、テレビメディアを支える視聴者は、50代以上の世代であるということです。世代人口と世代あたりの視聴時間の積を取ると、日本人全体のテレビ視聴時間シェアの比較ができます。おそらく、50代以上でテレビ放映時間の大多数を視聴しているという結果になるでしょう。
テレビというメディアは、50代以上の人々のために存在するものになってしまっているということです。ですので、メディアとしての使い方を十分に考え直す必要があります。
一つは、政治家。比較的投票率も高く、人口も多い、50代以上を狙うには、テレビへの露出が効果的でしょう。小泉元首相は、そのあたりをうまく行った首相と言えます。
二つは、マーケティングメディアとしての考え方。このようなメディア特性ですから、スポット広告は50代以上の世代を対象とするものに限定しなくては、効果が出ないでしょう。その点で、アリコは、上手にターゲティングされた広告を展開しています。しかし、日系の保険会社は、未だに20代から30代の世代を対象としているかのような広告を打っているため、効果が上がっていないのではないかと思われます。
三つ目は、多チャンネル化は失敗するであろうということ。いくら多チャンネルの放送網を築いたからといって、視聴者の大半は50代以上の世代であることから多チャンネルの受け手として不十分ではないかという点です。受動的にテレビを見るという姿勢で、多チャンネルの情報を選び分けて、見る、という一連の情報処理操作が受け入れられるのだろうか、という点に大きな疑問を感じるからです。
多様なコンテンツを制作することは、今後も求められることですが、そのコンテンツの流通の場は、これからはネットを軸足において流通することになるのではないでしょうか。iTunes Music Storeのように、映像コンテンツを配信する仕組みが整えば、安いテレビの下請けとしてコンテンツを制作するよりも利益を出すことができるようになるでしょう。とりわけ、電波法などの地域的な制限を超えて、コンテンツを世界に対して供給できるようにすれば、市場の規模が大きいですから、アマゾンのロングテールのように、リーチが長くなれば十分に収益を上げることができるでしょう。
さらに、上記の役割をコンテンツ制作会社にだけに頼ってはいけないでしょう。日本の企業も、スポンサーとしてテレビ番組を提供するのではなく、スポンサーとして映像コンテンツを海外に発信して収益を上げる仕組みを作るべきでしょう。
テレビというメディアは衰退産業になりつつありますが、映像コンテンツを軸とした市場はまだまだこれからです。アイデアと仕組み作りの勝負でしょう。アイデアという点では、ニコニコ動画が秀逸ですが、収益を上げるための仕組み作りは、待ったなしの勝負の環境にあると言えます。が、何もしなければ、2010年までに勝負がつくかと思われます。それから、地デジに完全移行したとしても、何のための移行だったのか?という事態に陥るのではないかと懸念します。
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