ふと考える。
惰性で生きていくのは良くないのは、十分に分かる。
でも、真剣に生きていこうとすると、どうしても厳しい逆風に立ち向かわなければならない局面がある。
その逆風に負けない、強い精神力というけれども、、、
その強い精神力は養えるモノだろうか?
どうにも飽きっぽい。転職もした。継続力は本当にあるのだろうか?
そのように考えることは、あまり生産的ではないことに、今更かもしれないけれど、ようやく答えが見つかった。
強くなろうとか、精神力を鍛えようとか、自分に対して、いやいやながら、負荷をかける必要なんて無い。
サディストではないし、修行僧でもない。私は、単なる凡人に過ぎない。
でも、自分なりの何か特徴をきっと持っている。そうでなければ、神様がこの世に生を授けるわけがないからだ。
その、「何かの特徴」を適度なストレス状態において発揮できるようになりさえすればいい。
それには、「自分の内なる声」にしっかりと耳を傾けることが重要なんだと。
自分本位になること、と言い換えることもできる。ただし、「自分勝手」ではない。
- 何をやっているときが、一番楽しいのか。
- 興味の対象を見つけたときに、自分の心が動くか?
- 時間を忘れ、寝食を忘れて没頭できるものか?
上記の質問への回答となる、自分がやりたいことを見つけることができれば、それを実行することこそが、「生きていくための原動力」になるではないだろうか。
なんだ、そんなに難しいことではないし、苦しいことではない。
自分の好きなことを見つけ出し、あとはそれを目一杯やってみる。満足のいくまでやってみる。
そうであれば、第三者の目からは「努力」のように見えるものでも、自分はきっと楽しんで、笑顔で、目を輝かせているだろう。
そうなりたい。心から思う。
それには、日々の生活の中で、自分が楽しいと思うもの、心が動くもの、寝食を忘れるぐらいに没頭できそうなものを探そうという意識づけと、それとは逆に、苦痛だと思うもの、避けたいと思うもの、なかなか取りかかれないものをピックアップし、陽の面と陰の面の双方から、本当に自分がやりたいと思うものを明確にしていく作業を継続していくことから、スタートしてみよう。
まずは、簡単なところから、楽しみながら。
やってみよう。
カテゴリー: 03 Logic · 049 Spiritual · 05 Hack
タグ: やる気, ゴール, ビジョン, 生きる, 目的, 人生
久しぶりに、田坂さんの「未来を拓く君たちへ―なぜ、我々は「志」を抱いて生きるのか
」を紐解いた。
何かヒントが得られればと思ったのだが、「やる気」を如何に高めるかについての、一つのヒントを見いだすことができた。
ストレスのデフレスパイラルにおいて、「やる気」が今ひとつというのは、生きることに対して真剣になることを見失ってしまっているからではないかと考えた。
明日も今日の延長線上にあり、
とりたてて何か起きるわけではなく、
今日という日常が永遠に続くかと錯覚している
そんな状態に陥り、安逸感に蝕まれているのではないかということだ。
弁護するわけではないけれども、明日は今日よりも良くなる、と信じることの難しい時代だ。
単調に続く毎日の繰り返し、を、永遠と錯覚するのもわからなくもない。
だが、冷静に考えるまでもなく、そんなことはあり得ない。
ただ、今を考えることから逃げているだけだろう。
今を精一杯生きることをしないで、現状に甘んじてしまっているだけなのだろう。
田坂さんの言葉はとても優しいけれども、鋭く突き刺さってくる。
充実した人生
密度の濃い人生
を生きるには、
「明日の死」を覚悟して生きよ
と説く。
もし、余命幾ばくもない状態に陥ったとしたら、あなたはどうするか?
生きている、一日一日を大切にして生きていこうと思うだろう。
「今日、あなたが無駄に過ごした一日は、
明日も生きていたいと願って死んでいった者の明日」
なのだ。
そして、極めて稀なことではあるけれども、「人はいつ死ぬかわからない」ものだ。
平凡に見えた日常が、突如崩壊するかもしれない。
なのに、今日という日が永遠に続くのかと錯覚して、怠惰に陥ってしまっている。
なんと、もったいないことか。
だから、日記をつけようと思う。
今日という日を、精一杯に、生き切ったか?
悔いはないか?
思い残すことはないか?
今日初めて、日記を書くことの意味が理解できた。
まだ、遅すぎではないと、信じる。
それが、常に「やる気」を抱いて生きる方法なのかもしれない。
カテゴリー: 041読書 · 99 心
タグ: やる気, 生きるということ, 志, 人生