少し前のニュースになりますが、フランスの大統領「サルコジ」氏が、GDPの算出に「幸福度」を加味するように提案しているという。
GDP算出に「幸福度」を加味 フランス大統領が提案
GDPとは、ある期間にその国内で生産された付加価値の総和のことを言います。
ちょっとわかりにくいのですが、経済活動を大きく二つに分けると「生産」と「消費」に分けることができます。
その生産において、生産するときは原材料や機械を仕入れて、商品を作ります。商品が販売され売上げが上がり、売上金額から仕入れの金額を引いたものが利益になります。この利益の部分が付加価値ということになります。この付加価値の中から、給料が支払われます。だから、付加価値が増加しないことには給料は増えません。ですので、GDPが増えることと給料が増えることというのはリンクします。
しかし、そこに「幸せ」という尺度は当てはまるでしょうか?
「お金があるからといって、幸せとは限らない」
といったテーマは、すごく手垢のついたテーマですが、よく耳にする命題です。
GDPと幸せについて考えるとしたら、こういう命題はどうでしょうか?
「毎日早朝から深夜まで、とても忙しく働いている。
給料はそれに見合っただけの高額なものをもらっているが、
評価が厳しく、いつ首を切られるかわからない。」
このような社会環境では、確かにGDPは大きいでしょう。しかし、幸せか?
「インフルエンザが大流行した。
医療機関にかかる患者の人数が大幅に増加した。」
この場合は少しわかりにくいのですが、医療機関の売上げが大幅に上がるので、GDPは増加することになります。
でも、少しも幸せではないですよね。
ただ、医薬品の営業(MR)をやっているときは、インフルエンザの流行に伴い、担当する製薬の処方(売上げ)が格段に増えるので、営業予算達成の為にも大流行があると助かるなぁという不埒な想いを持ったこともあります。にしても、一部の人は幸せかもしれませんが、社会全体で見ればとても幸せといえる状態では無いですよね。
もう一つ極端な例としては、「公害」です。
高度経済成長時代(その末期に生を受けたので、本からしかわからないのですが)には、企業活動が優先され、公害の問題に対する対応が遅れました。たしかに、GDPは大幅に増大したのですが、一部の人には人生を台無しにされた大問題でした。
というように、GDPだけで暮らし向きの変化を図ることには問題があると指摘されてきています。
繰り返し、繰り返し、何度も。
今回のサルコジさんの提案は、いい提案なのでしょうか?
いえいえ、今回も人気とりの提案に過ぎません。第一、彼のオリジナルでもないし、そもそも二番煎じです。
日本語訳はまだだと思いますが、Gross National Happinessという本があります。
Gross National Happiness: Why Happiness Matters for America–and How We Can Get More of It
有名な話としては、ブータン国王がGDPではなく、GNHを国の政治の中心に据える、という方針を打ち出したことです。
日本でも、「豊かさ」を指数とした統計調査が毎年行われていますが、できれば、世界統一の基準で「国民が感じた幸せの定量化」を測定し、人間として生きる上での「幸福度」「豊かさ」を比べあい、その指標に基づく政治が行われるようになってほしいものだと思います。


