MBA+MC=Logic+Art 大野真護のブログ

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そもそもやる気が出ないということ、怠惰に生きてしまっているからか?

2009/09/23 · コメントを書く

久しぶりに、田坂さんの「未来を拓く君たちへ―なぜ、我々は「志」を抱いて生きるのか」を紐解いた。

何かヒントが得られればと思ったのだが、「やる気」を如何に高めるかについての、一つのヒントを見いだすことができた。

ストレスのデフレスパイラルにおいて、「やる気」が今ひとつというのは、生きることに対して真剣になることを見失ってしまっているからではないかと考えた。

明日も今日の延長線上にあり、

とりたてて何か起きるわけではなく、

今日という日常が永遠に続くかと錯覚している

そんな状態に陥り、安逸感に蝕まれているのではないかということだ。

弁護するわけではないけれども、明日は今日よりも良くなる、と信じることの難しい時代だ。
単調に続く毎日の繰り返し、を、永遠と錯覚するのもわからなくもない。

だが、冷静に考えるまでもなく、そんなことはあり得ない。
ただ、今を考えることから逃げているだけだろう。
今を精一杯生きることをしないで、現状に甘んじてしまっているだけなのだろう。

田坂さんの言葉はとても優しいけれども、鋭く突き刺さってくる。

充実した人生
密度の濃い人生
を生きるには、
「明日の死」を覚悟して生きよ
と説く。
もし、余命幾ばくもない状態に陥ったとしたら、あなたはどうするか?
生きている、一日一日を大切にして生きていこうと思うだろう。
「今日、あなたが無駄に過ごした一日は、
明日も生きていたいと願って死んでいった者の明日」
なのだ。
そして、極めて稀なことではあるけれども、「人はいつ死ぬかわからない」ものだ。

平凡に見えた日常が、突如崩壊するかもしれない。

なのに、今日という日が永遠に続くのかと錯覚して、怠惰に陥ってしまっている。

なんと、もったいないことか。

だから、日記をつけようと思う。

今日という日を、精一杯に、生き切ったか?
悔いはないか?
思い残すことはないか?

今日初めて、日記を書くことの意味が理解できた。
まだ、遅すぎではないと、信じる。

それが、常に「やる気」を抱いて生きる方法なのかもしれない。

カテゴリー: 041読書 · 99 心
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志の育て方 〜 第5回志塾

2009/06/21 · コメントを書く

EQパートナーズ(株)代表で、Bond-BBT大学院大学の大先輩であり、先日「ワールドクラスリーダーシップ」を著された、安部哲也さんが主催する私塾、「志塾」の第5回目のワークショップに参加しました。

志塾とは、幕末の人材を輩出した「松下村塾」をモデルに、志を持った人々が、国籍、性別、年齢、職業に関係なく、お互いに切磋琢磨できる場を創りたいという、安部さんの思いから発足した集まりで、非常にダイバーシティーに富んだ参加者層というのが特徴です。昨日で第5回目なのですが、最低でも100回は集まりを開催したいという意気込みでいらっしゃいます。

さて、昨夜のテーマは、そのものずばりの「志の育て方」。「流学日記 (幻冬舎文庫)」の著者で現在「海士町」でまちづくりとひとづくりを担う、活動をされていらっしゃる、「岩本 悠」さん。

今回は、「志」について、理解を深める目的で、事前の課題図書がありました。
田坂広志さんの「未来を拓く君たちへ (PHP文庫)」です。この本はとてもいい本で、生きる目的とは何か、生きる上でどんな覚悟を持つことが大切かなど、「志」を中心に、人生を歩む「松明」のあかりをともしてくれる本です。

岩本さんは、これまで世界で見て、経験してきた様々な学びを通して、「志」の定義は田坂さんの述べた定義が一番しっくりくるとおっしゃっていました。

「与えられた人生において
己のためだけでなく
多くの人々のために
そして、世の中のために
大切な何かを成し遂げようとの決意」
田坂 広志 「未来を拓く君たちへ」より

さて、自分にとっての「志」って、いったいなんでしょうか。いきなり聞かれて、さっと答えることはできるでしょうか。

私にはできませんでした。「志」という言葉に強い想いを持って日々生きていますが、じゃあ、大野真護の志は、***です。と言い切れるかというと、かなり難しいものです。つまり、明確な言葉に落とし込むことができていないという状態でした。言い換えれば、気持ちはあるけれども、言語化できていないといったところです。

ワークショップでは、二人一組になって、それぞれの志について語り合うところからスタートしました。私がくんだお相手は、就職したばかりでまだ研修中の方。若さというか、いい意味での青さがあって、明確な想いを持っていることに感銘しました。たしかに、就職した当時、自分の可能性を無邪気に信じて、大きな理想と志を抱いていたことを思い出しました。
それでは、今の自分はどうかというと、年齢と経験を重ねているせいなのかもしれませんが、より自分の経験に基づく想いが強い「志」になっているということにふと気がつきました。つまり、こういうことです。若いときの志というのは、「こうありたい」という理想はあっても、自分の経験に基づく現実がまだよく見えていない。より純粋な形といってもいいかもしれません。しかし、今の「志」はちょっと違う。自分が経験した、挫折や苦い経験、世間の不条理など、そういったダークサイドを根本において、泥沼のなかで清楚に咲く蓮の花のように、自分の経験に基づく現実から理想へと向かう、「志」へと泥臭さがつきまとう者へと変化しているということです。

私の場合は、社会人最初の配属先が事業売却の方向で、どんどん配置転換で人がいなくなっていき、自分もその配置転換の一人となり、「化学者として生きていきたい」と考えていた社会人研究開発者から、医薬品の営業担当者になるという、一つの挫折を味わい、別の会社では首切りにあったりと、いろいろな挫折を経験してきました。そういったマイナス面を府の実績として引きずることなく、常に前向きに新しい自分を探し出しながら、これまでやってきましたが、そういった経験を通して、本当に自分は何をしたいのだろうかということが明確になりつつあります。
いまは、実績を積み上げて、自分がやりたい「志」を実行できるような環境へと自分をステップアップさせていきたいと、日々奮闘しているところです。

二人組になって互いの志を話し合った後、なぜそのような志を抱くに至ったのか、上に述べたような自分の体験に基づく経緯を、各自で内省し、志を育むプロセスについて「一般化」して眺めてみようという、ブレーンストーミングを4人一組になって行い、最後に全体で発表しあいました。

自分が所属するチームでは、前述したように、「挫折、久能、修羅場経験、死」といった、マイナス体験とよりよく生きるというプラスの理想とのギャップが生じたときに、志の芽が生まれるのではないかという結論に至りました。マイナスを乗り越えた経験や、対比する対象の存在があるからこそ、こうありたい、というよい方向に意識が向くのではないかという仮説です。逆に言うと、「完全に満たされた状態では、『志』は生まれないのではないだろうか」ということです。

他のチームでは、「人から必要とされること」、「こうありたいという想いを他人と話すこと」の重要性を指摘しました。また、別のチームでは原体験や潜在意識にある、元々根に何かがあり、あるきっかけを元に、志の芽が生まれるのではないか、すなわちReadinessの違いが重要なのではないかと。「求めよ、さらば与えられん」ということなのかもしれません。魂が何かを求めているからこそ、必然と出会いが生まれ、一つ一つの出来事が、Integrate、統合されていく、意味が生まれる、志が見えてくるという体験につながるのではないかという指摘がありました。

今回のワークショップは、非常に漠然として、言語化できていなかった、自分の志が、ある程度言語化できたこと。そしてそれには、意識の高い人たちと、意見を交換し、話をすることによって、相乗効果的に高められるということを実感しました。

青臭い理想や志を語る場というのは、ほとんどなくなってしまったような気がします。
職場も、差し障りのないコミュニケーションに終始し、それぞれの熱い想いを聞くことが少なくなりました。愚痴は聞くことがあっても、理想を語る、聞く場面は少ないという実感があります。ここ10年ぐらいの変化だとは思います。それが、日本企業の活力をそいでいるのだとしたら、ゆゆしき問題なのではないでしょうか。

現場では、無力感にさいなまれる場面が多発しているような気がします。自分も同じしたからの目線で想いを共有し、上からの目線を理解しながら、全体最適化に向けて、今何をすべきなのだろうかということを、日々考え、そして実践を通じて、自分の志の実現に向けて、一歩ずつ前に進んでいきたいという想いを強くした、ワークショップでした。

参照

第二回志塾の記事

第二回の模様(ビデオ)

第三回の模様(ビデオ)

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